東 勝吉(ひがし かつきち)
明治41年2月21日 大分県日田市に生まれる
昭和61年11月 湯布院町
特別養護老人ホーム温水園に入所
平成3年 初めて絵筆を握る(83歳)
平成9年11月 由布院駅アートホールにて
初めての個展『東勝吉素朴画展』を開催
平成19年3月14日 湯布院町 温水園にて永眠(享年99歳)
平成19年4月 『由布院駅アートホール』、『由布院美術館』、
『ドルドーニュ美術館』にて回顧展を同時開催
平成19年5月 ドキュメンタリー映画
『99ninety-nine東勝吉99歳孤高の無名画家』
ゆふいん文化・記録映画祭にて上映
平成19年4月 福岡市新天町『ギャラリー風』にて回顧展を開催
平成19年8月 湯布院町 特別養護老人ホーム温水園内に
『東 勝吉 常設館』開館
平成20年3月 佐賀県武雄市『エポカル武雄』にて回顧展を開催
平成21年1月 大分県日田市「パトリア日田」にて
生まれ故郷での個展開催
新鮮な驚きと透明感
由布院アートストックの主軸となるのは、町内在住の作家、東勝吉さんの作品。その作風は「東勝吉素朴画展」と題されたほど無垢で、新鮮な驚き、題材に対する謙虚さと畏敬と憧れに溢れ、また「木霊が感じられる」と評された、透明感と、力強さを備えている。
晩年に咲く花
「ミスカーターはいつもピンクの服」で有名なイギリスの絵本作家、ヘレン・ブラッドレーは60歳から絵を描き始めたそうだが、東さんは83才。現在お住まいの「温水園」の理事長、佐藤忠興さんが、「何か生きがいを」と東さんに絵を描くことをすすめた最初の人だ。
日に日に開花していく東さんの才能は、温水園の全面的なバックアップに支えられていると言っても過言ではない。
東 勝吉さんにインタビュー
Q 子どもの頃の話を聞かせてください。
A 毎日が家の手伝いと畑仕事。貧乏で絵を描くなんて許されない。暇もないし、そんな家庭環境でもありませんでした。学校の成績も丙丁ばかり。いい思い出もありません。
子供を5人おいて、母が早く亡くなったもので、長男の私が、働かねばならなかった。
しかし人と争うことのないやさしい両親でした。
Q 絵を先生について習ったことは?好きな作家は?
A 絵をならったこともないし、好きな画家といっても知らないです。
Q 今一番の楽しみは?
A 絵を、死んだら、園に残すということです。周囲の人が励ましてくれる。それが支えです。
Q 絵を描く上で大切にしていらっしゃることは?
A 自分はいつも一年生だと思っています。絵は先生で、絵がいろんなことを教えてくれます。絵で一番大切なのは、色使いです。完成は大変です。加筆は常にしています。
生きた絵を描くこと。死んだ絵は描いてはならぬ。人物なら、目玉は最後に入れます。
98才になられる現在も、1日に1〜2時間は立って絵を描かれるという東さん。
「このごろは目も弱り手も震えて絵を描く気力がない」とおっしゃるが、画架にかかる最近作には新たな挑戦がうかがえ、完成が待たれる。更なるご活躍を期待している。
Gallery(中央法規出版ケアマネジャー2002年1月号より転載)
「この方が描く山には魂が感じられる。山と関係のある仕事をしていたのではないか」
個展で東さんの絵に接した著名な画家は、そう評した。その指摘どおり、東さんは、30年以上も森林伐採業を続けてきたのだ。
「製材所の連中が切れないような大きな木を切るのが私たちの仕事でした」
切る前に見上げた大きな木、そして、東さんが木こり仲間とともに「国の宝やから」と切らずに残した巨木は、今でも目に焼き付いているという。東さんはそんな木々たちがいた山の風景を今の風景とだぶらせて自然画を描き続けてきた。
「木を切ったら一杯飲もうやと、懸命に鋸をひいた昔を思い出します」
透き通った画風。個展は「東勝吉素朴画展」と名付けられた。
東さんは特別養護老人ホーム温水(ぬくみ)園(えん)の入居者だ。15年前に入居、当時は4人部屋の片隅で隠れるように筆を運んでいた。
「同居者が寝静まってからは、電気スタンドを自分のほうにだけ向けてね・・・」
そんなある夜、園長(佐藤忠興さん)が廊下を通りかかった。東さんは、「まずい、注意される」と思った。しかし、園長はニコリと笑って通り過ぎた。その日以来、温水園は園をあげて東さんの画家生活をバックアップするようになった。
「他のことは何もせんでいいけど、絵だけ描かしちょくれ」
そう語る東さんは、今2人部屋を占有し、2〜3日に一枚のペースで描き続けている。
「ここにいると、一日中絵を描いて暮らせる」
90を超え、まさに悠々自適の生活。要介護2だが、病気らしい病気もなく、健康そのものだ。
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東勝吉プロフィール
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